慢性病と体調不良トラウマ
かつて体調が悪かったことで入院になり、色々としんどいことがあった。だから体調不良だけでトラウマがよぎるし、神経が高ぶってしまう。
体調が崩れただけでパニック
個人的な感覚として、少しでも身体にきつい感覚があると高ぶってしまう。
「普通の人は普通に生活しているだろうに、自分は平日の朝からしんどい…」と、そんなことを考えるだけでもよりきつく感じる。
敏感だと自分の感覚にも鋭敏?
センシティブな体質はあるだろうけど、それは外の刺激に敏感なだけでなく、自分の内側からくるものも刺激になるそう。
体調の悪さも神経の高ぶりになるし、その高ぶりがまた身体を悪化させる…。そんなこともあるか。
体調不良トラウマによる過食
ましてや自分は体調不良のトラウマがあるわけで、実際の体調不良になれば、その再現を恐れる感情が巻き起こり、それも高ぶりになる。
それを軽減させようとするのが食べすぎであり、そうしなければ感情を鎮められない。理性で考えても体調が良くなれば入院することはない。
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でも、自分はディスペプシアの食後愁訴があるわけだから、その無理によってまた胃の状態が悪くなってしまう。それで水を飲むのもきつくなるし、そこから脱水になればかえって入院しかける。
この状態で労働なんてできない…
自分の身体は本当に脆い。良いときもあるけれど、それは基本的にラッキーなこと。
しょっちゅう食べすぎがあるし、腹も下して脱力する。それで体力はないし、活動は屋内でのみ限られる。
労働以前に何もできない
最近は散歩やスーパーへ行くのもしんどい。身体の強度がない。BMIからすれば当たり前だろうけど。小学生の給食ほどしか食べられていないはず。
毎日活動できる人は羨ましい。出かけも外食も何もできません。そして人間関係も築けないわけで、その思い出が何もないのがきつい。
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些細なことで駄目になる屈辱
父親は働いてくれているし、母親も無休で家事をしてくれている。そして自分は自分で身の回りのことをできない。これからどうなってしまうのか。
入院のきつさとしてあるのは、「世界は回っているのに自分だけ倒れている」という感覚になること。
そんな人もいるだろうけど、その屈辱は耐えがたいものがある。だから病院へ行きたくないし、そのために無理して身体を底上げしたくある。
そんな耐えがたい感情をかき消すのに無理は役立つ。食べすぎるのは冷静な行為でないけれど、一時的に精神を落ち着かせられる。後で苦痛は残るけど、そのときは感情を和らげないと居ても立っても居られない。
ストックコンテンツで労働を避けたい
コンテンツに働いてもらおう
小学校は低学年のときに不登校なり、フリースクールですらだんだんと消耗して通えなくなった。そんな人間がどうやって社会で生きていけるのか。
普通に就職するわけにもいかないし、それでいてお金は必要。今は養ってもらっているけれど、いつかはそれもなくなる。今だってほしいものは手に入れられない。
コンテンツのレバレッジを信じよう
コンテンツは生み出せば二十四時間働いてくれるものでもある。一つのコンテンツが無限に見られることもあるし、場所も超えられる。他人資本にもなり、それが無限の拡散性を持つ。
普通の人でも手を出せばいいと思うけどね。そうもいかないんだろうけど、それはこちらのアドバンテージか。
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