体力がなさすぎて外に出られないよ…in夏−障害のある人生の限界

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ふとこんなツイートをした。

出かけられないディスペプシアの体験談

出かけられはしないし、運動もまだできない調子でも、家の中では活動できたりする。暇を覚えられはする半端な調子。

所属し出られるわけでもないけど、かといって何もできないこともない。食後愁訴の原因も解っていないし、そのケアのマニュアルも完成してはいない。

でも、日進月歩でやることはないし、難しい学術論文も読めないところ。

交感神経を活性化させられず…

この生活の原因の自覚として、活動的でいないことがある。特に怒りはないわけだし、その情動から発生する胃腸の蠕動の亢進はない。

自分はもっぱらもたれと食欲不振で、それは胃が動かないために起こる。

代謝もエネルギーの循環の早さと考えられるし、休息ではなくて活動が足りない読み。

「体力がなくてばてる…」という次元にない

こんなツイートをした。

普通は「○○したくらいでもうばてる…」というのが体力のなさだろうけど、そもそもまともな活動すらできない。疲労する体力もないし、体力を上げる体力もない。

それも先天的な限界とみるしかないのか?子供の頃はそうじゃなかったのにな。

まともで健康的な生活をすれば変わるだろうけど、それも難しい。

健康と自活がないと何もできません

元気があればなんでもできるけど、それがなければなにもできない。

何もできないだけなら良いけど、まともな生活ができていない。それは困る。

障害年金はもらえない不自由

両親がいなければ身の回りの世話ができないし、お金も稼げない。

「家の中で軽食作りや洗濯しかできない」というのが障害基礎年金の要項だそうだけど、去年の夏だかに不支給が決まった。

寝たきりならまだ相応の不自由を認められるけど、そうでなければ半端な状態で誰かにお願いしないといけない。それができずに孤立して終わっていくのか?

歳を取って不可逆になっていくのが辛い

後悔は歳相応の楽しい思い出がないこと。でも、それは健康と自活がなければ到底手に入れられない。

健康を維持する能力、お金を稼ぐ能力は生き物の根幹であって、それが崩れているなら話にならない。そう思い知ることはできる半端な体力…。

過剰で普通ではない生活

自分は普通に生きていくことはできないし、そもそも普通ではない。何から何まで過剰。

だから普通の人とは関われないし、厳しいものがある。

自己発信で同類に出会いたい

ただ、ここに記していることを理解してくれる人がいれば、同類同士で楽しめるかもしれない。でも、近くの人でないと縁は切れるだろうし、どうしたものか。

同類が見てくれてもね…。YouTuberならつながりが生まれるかもしれないけど、病気のブログだとね…。



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