体力がないのを認めて諦めようか…ディスペプシアの低体重で何もできない体験談

【リンクにはアフィリエイト広告が含まれます】

こんなツイートをした。

体力は人それぞれだそう

高須クリニックのドクターいわく、体力とは先天的に決まるものであり、仕方なく諦めることも大事だそう。

コメント欄もそのようなコメントが多かったし、それを受容するような受け止めが多く見られた。

「友人は元気なのに自分は疲労困憊…」という人もいて、世の中は誰しも元気はつらつでないのだと思った。

そのことについての以前にも書いている。

毎日元気な人ってどれくらいいるの?ままならない身体を抱えるということ

体力はその人の内臓力?

ツイートにあるように、体力はエネルギー摂取量が重要で、それには内臓の力が大きく関わるはず。

主に消化器官がたくさん処理でき、それを筋肉や脂肪に蓄えられる。それが疲れにくさにつながるんじゃないか。

体力がないと疲労もできない

これも上述のツイートの通り、自分はあまり疲労したりしない。それは単に家の中でしか活動できないから。

普通は「体力がないからこれだけで疲れる…」という悩みだろうけど、自分はそもそもエネルギーが足りていないため、活動することさえできない。

家の中でしか活動できない

以前は散歩もしていたし、家族で買い物にも行っていたけど、今はかなり遠ざかっている。

スマホなら長時間見れるけど、知的生産をするのがぎりぎりなところ。

基本的に腹がすかすかだし、頭に血が回らない感と、だるくて力がない感じ。

それでも障害年金は貰えない人生

以前に障害基礎年金の申請はしたものの、「診断書とか書類を見たけど、不自由はそこまでじゃない?(意訳)」という旨で不支給が決まった。

その受給条件の要項には「在宅で軽食作りや洗濯しかできない」とあり、それに当てはまっているにもかかわらずこうだ。

あーあ。欲しいものが買えないし、一家の財政も悪くなっている。だからこうやってブログを書いているのもある。

病人でもとにかく頑張るしかない。体調が良いときはなるべく知的生産をしている。

人間らしい健康的な生活が基本?

一番上のツイートにあるように、高須クリニックのドクターは「まず健康的な生活をすれば体力はつきます」と仰っていて、実際そうなるんだろうと思う。

まずカロリーを十分に摂り、そこから人間らしい健康的な生活習慣をする。それが整えば食欲も出るだろうし、代謝が上がって活動のサイクルも回るはず。

似たような話は以前もしている。

不健康な生活の自覚が心身症の原因?健康的な生活でセロトニンを出そう

体力の限界と不自由の現実

ただ、人間らしい生活をするのに必要なカロリーが摂れない。それで外出が難しいし、食欲不振や胃もたれを治すきっかけが見つからない。

それに加え、家族と暮らすだけではディスペプシアの食後愁訴は治らない。学校や会社に行く必要もないのにこうなっている。

これが慢性疾患を抱える人間の現実。誰かの世話がないと生きていけないけど、スマホを見たりはできる。この絶妙な中途半端がもどかしい。

体力の限界を認めようか

だから諦めも大切になるか。もちろん治療は必要でも、どうしょうもないなら精神論だ。ディスペプシアは難治の疾患といえる。

人生の苦痛を受容し、諦念の念仏を繰り返す。あるいは健気に楽しみを見つけるか。自分は前者しか無理なんだよな…。それって自分だけ?

ただ、今はディスペプシアの治療の知見が増えているよう。セルフケアも増えているし、この最近の本には役立つことが書いてあったからおすすめ。



関連記事はこちら。




おすすめ記事はこちら。

コメント

スポンサーリンク
スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました