青春は親の労働の上に成り立つ虚構だ‐それでも青春コンプレックスで辛いわ…

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親が働いているためだけの自由

世の中には学費を払いながら定時制高校に通う人や、働きながら大学へ通う苦学生もいる。

今ならヤングケアラーもいるだろうし、そういう人に青春はないはず。

親が働いて生活費・学費を賄ってくれていなければ、十代で自由はない。仮に恋愛なりで楽しく過ごせたとしても、親はそんなことをしている暇も体力もない。だから虚構みたいなものでは?

恋愛より自立・自活が先決

十代の頃に青春があった場合、その後で「幸福の後払い」が発生しないか。

人と過ごして何か知識や技術は身につくものか?だったら将来のために何かを身につけたほうが良くないか。

それを怠って自活が不完全になった場合、そこで親の大変さを知ることになるはず。そうならないような十代の過ごし方もあるんじゃないか。

自活できなきゃ恋愛は無理?

自分の目の前の生活で手一杯なら、恋愛をする暇もないし、まともな身なりも整えられない。

つまり恋愛どころでないし、青春という幸福の前借り、その負債を返す生活になってしまいそう。

結婚もそうなんじゃないか。自分の食い扶持をまかなえなければどうしようもない。毎日馬車馬のように働かないといけないなら何も始まらない。

青春という虚構?に苦しめられる

「青春」や「普通の人生」というものは頭に浮かんでくるけど、果たしてそんなものは存在するのか。存在しても中身はあるのか?

特に青春は「青春讃美」のような風潮があって辛い。「十代・二十代はエンジョイしてこそ♪」みたいな空気感がしてくる。

裏を返すというか、世間の誰もが「青春コンプレックス」を持っているんじゃないか?年長者もみな青春を送れなかったからそう見るのか?

恋愛観が学生で止まってる…

以前に「もう三十代なのにまだ恋愛観が中学生…」というツイートを見かけた。自分もそんな妄想で止まっていると思う。

https://x.com/shirukaaa/status/1672898976352460803?s=20

こう言うと傷つくかもしれないけど、そのツイートには八万ものいいねがついているし、そんな人は世の中に多いと思う。

健康を維持する能力も必要

自分の場合は不健康や障害の限界がある。病気でも人付き合いは可能かもしれないけど、家から出られないなら話は別。

それに健康でない人と関わりたい人はいないだろうし、自分は出かけも外食も何もできない。であれば何もできないもの。健康になってもそのときは歳を取っているはず。

不登校・病気で歳相応の思い出がない

自分は病気のせいでろくな思い出がない。中学年代では病院で過ごしていた時間の方が長かったか。

入学式は小学校の一回で、卒業式は適応指導教室、修学旅行は行ったことがない。

そもそも小学校を三年で通えなくなったのだから、神経の作りがおかしすぎるんだろう。もう社会で過ごせるわけがないか。

成人式はこの前にあったけど、開催のお知らせがそもそも届かなかった。まあ、同級生とも十年以上会っていないし、ろくに関われなかっただろうけどね。

青春にまつわる有識者の見解

自分ももちろん歳相応の経験をしたかったわけで、結局はないものねだりなのか。

でも、見方では一人の時間の充実があるだろうし、それがなくて嫌な人もいるはず。

そのことについて印象に残ったツイートがある。思い出がないのも思い出なのかね…。

自活・健康が必要なのは変わらない

それでいてやはり自活力は必要だろうし、それがないと始まらない。

結論としては、「自活をするようになってからの人生の方が充実しないか?」ということ。

もちろん瑞々しい付き合いも楽しいだろうけど、中身があるのは大人になってからでは?そこから楽しい思い出を作れると信じたい。

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