人生の絶望には精神論が必要だ−さあ苦痛の念仏を唱えよう

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絶望の行き着く先は精神論

こんなツイートをした。

ディスペプシアが全く治らない

病気が全く治らないですね。小学生以来の十年選手。その頃から発症するなんて神経が細すぎる。

前任の消化器外科?のドクターも、心身症科のドクターも釈然としたことを言ってくれない。

だから自分でセルフケアしたり、胃腸やストレスについて学んでいるけれど、「これでいいの?」と思う。

摂食障害も本質が不明…

摂食障害についてはトラウマ由来のものだと思うけど、それも正確な原因とされていないし、不明瞭な本質しか認められていないはず。

それは治療も確立されないのを意味するわけで、考えれば恐ろしいもの。精神疾患の中でも致死率が高いらしいし、本当に救いようがない。

救われない人生は存在する

自分がどれほど追い込まれようが、元気な人は元気だし、自分を脇目に普通に食事を摂る。それが絶望。

誰に相談しても何も答えがない、誰であっても助けてくれない地獄。

念仏を唱えて諦めるしかない?

前述のツイートにあるように、救いがなければ全てを諦めるしかなくなる。「この世は地獄で、人生は滅茶苦茶」と考えざるを得ない。

お釈迦様が「一切皆苦」と悟ったのも分かる。その超人的・超越的洞察が庶民に広がり、念仏を唱えるようになったのも。

だって誰も救いを与えてくれないし、世界は生物を幸せにするように作られていない。だったら人生を諦めるしかないし、天国に往けるよう期待するしかない。

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