なんとかなった人が「なんとかなるよ」と言う世界−自ら助けてもらう努力をすること

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何ともならなかった人生はある

テレビの報道やドキュメンタリーを見れば、孤独に衰弱して亡くなるケースもあるよう。本当に世の中は「何とかなる」といえるのか?

何とかなった人の生存者バイアス?

思い出したのが「生存者バイアス」で、この文脈とも大体は適合するんじゃないか。

生存者バイアス(せいぞんしゃバイアス、英語: survivorship bias、survival bias)または生存バイアス(せいぞんバイアス)とは、何らかの選択過程を通過した人・物・事のみを基準として判断を行い、その結果には該当しない人・物・事が見えなくなることである。選択バイアスの一種である。

生存者バイアスの例として、ある事故の生存者の話を聞いて、「その事故はそれほど危険ではなかった」と判断するという事例がある。それは、話を聞く相手が全て「生き残った人」だからである。たとえ事故による死者数を知っていたとしても、当然死んだ人達の話を聞く方法はなく、それがバイアスにつながる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E5%AD%98%E8%80%85%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9

その人には助けてくれる人がいた?

あるインフルエンサーは「何とかなるでしょ」と言っていたけど、それはその人を助けてくれるような人がいて、そういう人へSOSを出せたからだと思う。

深刻な状況を助けてくれるとしたら、それはそれまでの関係性があり、その人へ助けを乞うことができたからではないか。

その関係を築くべきではあるだろうけど、それができない人もいる。それができないから不自由を抱えているわけだ。

努力して助けを願い出るしかない?

それでいて悩みは解決可能でもあると思う。

以前のエントリーにあるように、人間の悩みは大体が似通っているんじゃないか。だとすれば、それを解決する方法は用意されている。

自分で自分を助ける

あとは自分がそれに手を伸ばすことで、それは自分でしないといけないか。自分で助けを願い出ること。

それができるのが大人なんじゃないか。そのためには恥や外聞を捨てざるを得ないけど、そうしないと成長しないし、何より変化がない。いつまでも歳を取るだけ。

それも記してある。

自分で自分を助けないと始まらないのはある。アウトリーチの事業はあるかもしれないけど、それに恵まれた人は幸運だと思う。

自分から行動するのが早いし、その手をつかむのは自分の意志。それを可能にするのが本人のメンタリティで、それには感情を捨てることが必要じゃないか。すると合理的な解決が可能になり、道が開ける。


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