創作で稼ぐモチベでは過度に神経が高ぶる…コンテンツの市場的価値と人間的価値

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才能の誇示で自尊心を保つと…

自我や自己の話は分からないけど、「この投稿で世の中をひっくり返してやる!」「これで稼いで自己を保つぞ!」というモチベーションでは消耗が激しくなるはず。

自分もそんな感覚があったし、今も投稿は恥ずかしくなったりするけど、だんだんと薄れてきたのはある。

それでも、そのくらい渾身の一撃が全くヒットしなかった、あるいはアクセスがあまりにも貧弱だった場合、過度に神経が高ぶったりする。

本当に創作のモチベーションだった?

自分は以前、創作中心のプラットフォームに投稿していたけど、そこではどうしても神経が高ぶってしまった。

それは上述した心理のせいであって、自分は創作をしたいというより、コンテンツで稼ぎたい気持ちがあったのだと思う。

コンテンツの価値が自分の価値でない

そのコンテンツを生み出したのは自分でも、自分自身の価値はコンテンツで決まらないはず。

そもそも初めの投稿がハイクオリティである確率は低い。処女作がヒットする人もいるだろうけど、その人だってつまらないものを生んだりしただろうし、人へ見せたりしたことはあるはず。

世に出ていない屑の残骸の上にそれはある。人へ見せてブラッシュアップしなければクオリティは上がらない。

市場的価値=自分の価値ではない

以前にこんなニュースを見かけたけど、これも自分の市場的価値と人間的価値の混同があるんじゃないか。

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「がんの闘病」というのがコンテンツの市場的価値、または自分の市場的価値であって、がんの寛解によって登録者が減ったとしても、人間の価値自体が否定されたわけでないはず。そこを混同すると応えると思う。

作品に自分の価値を投影しない

コンテンツの価値はコンテンツ自体の価値であり、その評価がかなり低かったとしても、自分の価値が全否定されるわけではない。まずはそう認識するのが大切。

そして作品を公開するのに慣れる。処女作で売れるとしても、それはよほどのクオリティのものか問題作くらいでは。 あるいは売り文句が相当目を引くものか。

才能を誇示して自己を保とうとすることに関しては、なかなか難しい話ではあるけど、よほど反社会的なことをしなければ問題はないだろうし、匿名でやれば記録が多少残っても耐えられる。そんな経験をしている人はたくさんいるはず。

コンテンツの価値を高めよう

「価値の低いコンテンツしか生めない人」という烙印を押された気になったりするけれど、それは誰しも通る道のはず。それは人間の価値を決めるものではない。

だから前述したようにコンテンツをブラッシュアップするしかない。初めからそのマインドでいるのが大切で、だとすれば慣れによって投稿が楽になるはず。その作戦でいこう。



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