無駄にも良いところがある?
無駄も良し悪しであって、画面ばかり見ても疲れるし、ちょうどよい頭の休憩になる。
掃除は家でできる運動になり、人の運転で移動するも頭の休憩や気分転換になる。
一秒も無駄にできない人生はどうなのか
家事の時間すら割けない生活は大変だろうし、無駄なことに費やせるのが本当の豊かさかもしれない。
「人生は一度きり」「限りある時間をいかに…」というけど、そもそも何をするのが豊かさなのか?
満たされず死ぬのは不幸なのか?
「満たされないまま死ぬのは最大の不幸である」というのも分かるし、不幸を認識しないと幸福のために努力できないのはある。
でも、それではそれこそ不幸の元にならないか。一秒も無駄にできないのはかえってきつい。
あくせくせず、無駄なことに時間を費やしても焦らなくて、それよりも豊かさを感じている‐。その方が楽じゃないか。
幸福なんて難しいし、その焦りがなければそこそこ満足になるんじゃないか?
不幸を考えるのが不幸の元?
ただ、「不幸は絶対に嫌だ!」と考えなければ努力はできないか。
「この生活でも全く平気」という人ならよくても、「不幸である」と意識に上っている場合、それはその人において不幸が存在している。
「不幸ではない!」と考えれば不幸でなくなるかもしれないけど、本当に不幸を感じていたとすば、その考えは努力を妨げる。
不幸を感じない人間なら良かった
つまり「努力して幸福になるか」「不幸のまま力尽きるか」の両極端しかない。
本当に不幸を感じない人ならいいけど、自分はそうでないし、幸福は別のところにある。
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