障害がある人も社会に仕事を生産してる?評価経済で労働者に感謝して生きよう!

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仕事ができない人を支える仕事?

世の中には労働できない人もいるけれど、その人たちを支える仕事もあるんじゃないか。

役所にもそういう課があるだろうし、病院はもちろん、ハローワーク、介護施設、障碍者施設など、逆に仕事を生み出しているのでもあるんじゃないか。

無邪気な子供に献身する親の心理

幼い子供は働くことができないけど、それをとがめる親はいないはず。それよりも、かえって子供のために頑張っているくらいじゃないか。

要は労働者である親の生きがいになっているはず。子供のために頑張らざるを得ないとしても、無垢な感謝と励ましのために献身できる。

労働者の機嫌には逆らうな…

これは上述の労働者にも当てはまらないか。弱者がいることで仕事が生まれるわけで、対価の額を置いておけば、その仕事にやりがいを感じられたらいいはず。

弱者の存在が仕事と対価にもなるし、その弱者が無垢な感謝を伝えれば、労働者にとってもやりがいや生きがいにもなるんじゃないか。

そうすれば労働者に歯向かわれることもなくなるか、逆に気持ちよくケアしてくれるんじゃないか。

評価が高ければ保護してくれる?

岡田斗司夫さんが提唱した「評価経済」というのは、ざっくり意訳すると、「評価が高ければお金や物を融通してくれる」というものだと思う。

これは労働できない人間の生活にも当てはめられないか。

幼い子供のように、労働者から高い評価を得ているのであれば、その子供は無償のケアをしてもらえる。

労働できない人間も同じで、労働者を気持ちよくさせることができれば、無償のケアもなされるんじゃないか。

ケアされるだけで自尊心は傷つく…

ただ、問題はケアされる側の自尊心について。健康な労働者にケアされること自体、不自由を負っている人間の自尊心は傷つく。

そもそも不自由を負っていること自体が恥ずかしい。病気や失業など、それ自体が本人の自尊心を大きく傷つける。

そんな人間がケアラーの機嫌を取れるのか。無垢な子供のように感謝を伝えられる?これが最大の壁じゃないか。

労働者に好かれる弱者の戦略

自分も両親がいないと生きていけないわけで、偉そうなことは言えない。というより、機嫌を損ねないようにしないと生命線を質にとられる。

肩身は狭いけど、とにかく感謝をしないと世話してくれない。でも、「お世話してあげたい」と思わせたら立場は強い。

弱者の戦略はこうじゃないか。労働者に程よい責任感を与え、やりがいや生きがいを与えること。


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