不登校になった頃の希望のなさ
2010年代初頭に不登校になったけど、十年後の今とはかなり世界が違うと思う。
それより昔はもっと悲惨だったかもしれないけど、2010年代ですらまだ救いが少なかった気がする。
ようやく世界は豊かになった?
ネット調べれば情報が出る
あらゆることはウェブ上あると思うし、素人でもプロの発信でそれなりの知識を学べると思う。論文なんかも公開されたりしている。
自分がきっかけをつかんだのはHSPの概念を知ってからで、それはネットサーフィンをして知ったもの。
そのタイミングが合わなかったらどうなっていたか。本当に事切れていたかもしれないと思っている。
ラベルや診断名の充実
これはレッテル張りと紙一重だけど、今はいくつも病気や不自由の概念が提唱されているはず。
それで長年の謎が腑に落ちたりする。そこから福祉や医療も発達すると思う。何もないよりはいい。
書籍が充実している
Amazonの本のページはあらゆるコンテンツで飽和しているようだけど、そのくらいがいいか。調べたら分かりやすくキャッチーものがヒットするだろうし、これも大体のことが学べるはず。
HSPを知ってから初めに取り寄せたのが「ささいなことにもすぐに動揺してしまうあなたへ」。
そこからさまざまな本を取り寄せ、セルフフィードバックなどをして少しづつ改善しだした。
フリースクールや居場所サービスの登場
この町にフリースクールはないけど、当時も近くにあったのは「適応指導教室」。
そこは「学校に適応するのを指導する」という意味の場所だろうから、言葉を選べば時代性があるんじゃないか。
フリースクールが近くにない人もいるだろうけど、今はオンライン教育もあるだろうし、福祉の居場所サービスもある。メンタルクリニックのデイケアもだ。
自分はいずれも通えていないけど、遠くの中心部にあるだけいい。
美味しくなったリキッドのエンシュア
エンシュアは当時もあり小児科で処方されていたけど、味がきつかった思い出。当時のタミフルを連想するような感じで、そのつらさを覚えている。
でも、昔とは比較にならないくらい味が良くなっていて、それくらい企業努力で美味しくなっている。
2010年代後半に生まれたかった
田舎はまだまだ変わっていない体感でも、世の中はちゃんと豊かで便利になっているはず。
その例が上述のもで、今からの世の中に生まれていれば、子供時代の苦しみは減っていたんじゃないか。
これが数十年の差だと、超優れものの薬、不便を超えるテクノロジー、最高はベーシックインカムまであるんじゃないか。
今後に少年期をどう振り返るのか
だとすると人間の腐敗などあるかもしれないけど、それくらいがいいんじゃないか。その頃にちょうど青年期を迎えたりしたかった。
今がテクノロジーの進化の過渡期なら、一番ジェネレーションギャップが発生する時代だろうか。
いつまで生きるのか、テクノロジーがどこまで発達するかは分からないけど、どんどん良くなるのは確か。だから損のほうが大きいと思うけどなぁ。
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